ある専門学校では、幼稚園教諭の免許を取るために不適切な試験が行われているというニュースがありました。
報道の仕方にも問題があると思いますが、一部の単位を取得する際に資料を持ち込むのは大きな問題ではないと思います。
たとえばですが、学習指導要領に関する問題が出たとします。そもそも学習指導要領の中身を何となくは把握していても、しっかりと覚えている教員なんてほとんどいないと思います。
また完璧に覚えたとしましょう。それは教育現場ではあまり役に立ちません。教育現場では「生徒相手」です。
意外と免許取得する際に勉強した内容は役に立たないものです。求められるのは人間力だと思います。
教員免許の取り方 必要単位を取り免許状を申請する
一般的に教員免許を取るためには、教員免許を取るために必要な単位を大学や専門学校で取得する必要があります。
そして必要な単位を取得したら教育委員会に申請し、免許が授与されることになります。
これが一連の流れです。それを踏まえて今回の問題に触れてみたいと思います。
今回の問題点とされている資料の持ち込み
今回の問題点として挙げられているのは、ある専門学校では試験の際に持ち込みが認められており、持ち込んだ資料の文言を書き写すだけで単位が取れてしまうということです。
結論からいうと、すべての試験で持ち込みOKなら問題かもしれないが、一部の試験なら問題ないのでは?と思います。
そんなに免許取得するためのハードルを上げてどうするの?と思うのです。
免許取得するまでにそれほど楽ではない
そもそもの話ですが、幼稚園教諭の免許状を取得するためには、二種であれば31単位以上、一種であれば51単位以上の修得が必要となります。
たとえば一般的な大学の場合、単位を取るためには何時間も授業を受ける必要があります。そして試験に合格することで単位をもらうことができます。
同じように通信大学の場合、複数のレポートを作成し合格しなければなりません。さらに試験にも合格しなければなりません。
つまり1つの科目(基本2単位)を取るためには、何時間も授業を受けたり、レポートを作成し合格したり、最終的には試験に合格しなければなりません。
決して楽ではないのです。
そのため、いくつも単位を取らなければならない状況で、資料の持ち込みがOKな科目が少しはあってもおかしくないということです。
ちなみに普通の大学でも資料の持ち込みを許可しているケースはあります。
すべての試験で持ち込み可能であれば問題だとは思う
資料の持ち込み自体が大きな問題とは思いません。そして今回の場合ですが、おそらくすべての試験ではないはずです。
もし単位を取るための試験すべてにおいて資料を持ち込むのであれば問題かと思います。
免許を取るまでの過程を厳しくすれば人手不足は加速する
どの教員免許でもいえることですが、免許を取得するまでの過程を厳しくすればするほど、目指す人は少なくなるのは明白です。
幼稚園も小学校も、どの学校でも人手不足の問題を抱えています。
その問題を解決するためには、教員のなり手を増やす必要があります。
教員の資質が下がるという意見もあるが・・・
教員の資質が下がるという意見も聞かれます。
そもそも「教員の資質とは?」と思うのです。
- 勉強ができれば資質ありでしょうか?
- 指導力があれば資質ありでしょうか?
- 性格がよければ資質ありでしょうか?
どれに関して「資質」を指しているのかわかりませんが、「教員不足」という現実に目を向ける必要があります。
そもそも勉強する内容は教育現場ではほとんど役に立たない 忘れてしまっている
そもそもですが、教員免許を取得するために行う勉強ですが、教育現場ではほとんど役に立ちません。
というよりも、単位を取るために勉強をしただけであり、単位を取ったらほとんど忘れてしまいます。
教員採用試験に関しても同じです。
もちろん現場で役に立つこともありますが、採用試験に合格するための勉強であり、目標を達成したら忘れてしまうものです。
自動車の試験と同じ
たとえるなら自動車の免許と同じです。
免許を取るときには詰め込んで覚えます。たしかペーパー試験も9割以上を取らなければならなかったはずです。
しかし免許を取った後、何十年も勉強することはありません。今もしペーパー試験を行ったらほとんど点数を取れないかもしれません。でも運転すること自体はOKですし、多くの人が問題なく運転しています。
もっと簡素化してもよいと思う
個人的な感想ですが、教員免許を取得までの過程はもっと簡素化してもよいと思っています。
生徒に接するためそれなりの学力は必要ではありますが、それは前提の話です。
重要なのは人間力です。
単位を取るための試験で多少の持ち込みはOKだと思います。試験を受けているということはそこにたどり着いているということです。それは授業を受けていたりレポートを提出しているということです。
それだけでも十分だと思うのです。