2024年文部科学省は、教職大学院を修了し採用試験に合格した人を対象に奨学金の返済を全額免除するという方針を打ち出しました。そしてその後、教職大学院以外の大学院を卒業して教員になった人についても、奨学金の返済を免除するという方針を示しました。
条件は「30時間以上の教育実習が必要」とのことです。
この方針を見て、現在教員をしている人、または奨学金の返済に苦しんでいる人たちはどのように思うのでしょうか。
学校で働いていた経験をもとにお話ししたいと思います。
率直な感想 「論点が違う」「不平等」
教員不足を解消するために考えられた方針だとは思うのですが、そもそもなぜ教員不足となるのか、その原因は何なのかがわかっていないのだと思います。
つい先日、教員の残業代を一律4%から10%へ引き上げるという話もありましたが、それも同じです。
参照 教員の残業代を4%から10%に引き上げは誤った施策である理由 順番が違うと思う
率直な感想ですが、文部科学省で方針を決める人たちは、なぜ教員不足となっているのかがよくわかっていないのだと思います。
「教員のなり手がいない。ならば教員になりやすいように、今まで以上にお金を渡すか、返済するべきお金を返済しなくてもよくしよう」としているように思えます。
つまり「お金を渡せば先生になる人増えるだろう」ということと同じです。
論点が違うのです。
またこれまでの先生たちはどうなるのでしょうか?
奨学金を返済しながら働いている人は数多くいます。その人たちは対象になるのでしょうか?
ほんの数年の早く先生になったことで、数百万円の差が生まれてしまうわけです。
優秀な人材を確保したいという「いやらしさ」を感じた
今回対象となっているのは「大学院を修了した人」となっています。
教員は大学を卒業してもなれます。むしろほとんどが大学卒業者です。
大学院に行っているということは、大学卒業者よりも余計に勉強しているということになります。
世間一般的に見れば高学歴とも捉えることができます。
そういった人だけを対象としているという点で、文部科学省が少しでも優秀な人材を確保したいというのとともに、もしもの場合の言い訳づくりだと思えてしまうのです。
教育現場での問題
近年、教育現場でいろいろな問題が発生します。
これまでも発生していたのかもしれませんが、メディアの発達で一般社会に報道されやすくなりました。
〇〇教育委員会の教育長が謝罪をしているなんてことを目にすることも珍しくありません。
そんなとき、学歴が低い先生が問題を起こすのと、学歴が高い先生が問題を起こすのとでは、学歴が高い先生が問題を起こした方が採用した側にしてみるといいわけができるのです。
問題を起こすことに学歴は関係ありません。でも言い訳にはなってしまうのです。
教育実習30時間以上って全然
教育実習30時間以上が条件としてありますが、全然少ないです。
たとえば小学校の教員免許を取る場合、連続4週間教育実習に行きます。
1日8時間だとすると、1週間で40時間。4週間で160時間です。余裕で30時間超えています。
たったこれだけで奨学金返済免除の対象となるかと思うと、条件が楽すぎると思います。
先生になるかならないかはお金の問題ではない
個人的な意見で教育現場に立っていたものの意見です。
そもそもの話ですが、学校の先生になるかならないかは、お金の問題ではありません。
そもそもですが先生は地方公務員です。多いということはありませんが、ある程度の給与額は担保されています。基本的に生活に困ることはありません。それが公務員というものです。
「子どもが好き、教えることが好き」
このような理由で教員を目指す人が多いと思います。※もちろん例外もいます。
なので多少給料を高くしたり、奨学金の返済を免除といっても、教員不足の根本解決にはならないと思います。
なぜ教員不足となるのか
教員不足の原因はさまざまなことが上げられています。
個人的な意見では以下の通りです。
- 長時間労働
- 同僚教員からの圧力
- 保護者からの圧力
- 余計な業務
- 休みの取りにくさ
- 真面目
この後でそれぞれ説明しますが、今の文部科学省が打ち出した方針は「お金出すからこれらのことをやってください」といっているようなものだと思うのです。
教員不足となる原因を修正せずにお金で解決しようとしても、根本解決にはならないと思うのです。
長時間労働
先生の仕事自体は長時間労働ではありません。ただし今までの慣習が残っているため、長時間仕事になることがある意味当り前と思っている先生たちが一定数いるということが上げられます。
長時間労働が当たり前と思っている人からすると、定時はあるようでなく、定時での退勤はもってのほかとなります。
そのため、たとえば若い先生が定時で帰ろうとするとよい顔をしないわけです。
また生徒のためならいろいろしてあげるべき・・・という考えの人もいて、色々するということは時間がかかるということであり、長時間労働となってしまうのです。
同僚教員からの圧力
学校は基本的に縦社会です。
とくに校長先生は絶対的な存在といえます。校長先生の性格によって学校の色が変わるほどです。
どの社会でもいえることですが、年配の同僚の中にはどうしても曲者がいて、縦社会ということもありなかなか自分の意見を出しにくくなってしまいます。
クラス担任としてクラスにいるときは先生はナンバー1です。しかし職員室に行くと急に縦社会。このギャップ、そして縦社会という圧力が苦手な人は多いと思います。
保護者からの圧力
子どもが学校で怒られると「あなたが悪いから怒られたのでしょう。」と一昔前まではなっていたことでしょう。
ところが今では、保護者からの意見をもらうケースが多くなってきたとされています。
良くも悪くもなのですが、保護者対応をする機会が増えているということは、その分、他の業務をすることができなくなります。また精神的なプレッシャーにもなります。
余計な業務
慣習として残っている業務は数多くあります。
「昔からしていることだから」という理由で、意味があるのかどうかも分からない業務は存在するのです。たとえば会議です。
「全員出席の必要ないでしょ」と思うような内容の会議も多々あります。
休みの取りにくさ
クラス担任をしている場合、平日に休みを取ることは難しいです。
実際にはできます。しかし周りの同僚から変な目で見られることは事実としてあります。
また自分が休んだ時には、代わりの先生がクラスに入ることになります。
先生の中には、自分のクラスに他の先生を入れたくないという思いが強い人も結構います。
さらに昔ながらの考えかもしれませんが、「学校を休むということは悪いこと」と思い込んでいる先生もいます。
さらに、年配の先生は土日に出勤していることがよくあります。年配の先生が出勤しているのだから、自分もしなければならない・・・と思ってしまう先生がいます。
このようなこともあり、なかなか休みを取りづらいということはあります。
真面目
ここまで上げてきたことすべてにいえることですが、結局のところ先生になる人は真面目な人が多いです。
だからこそなのかもしれませんが、自分がこれまで経験してきた学校生活を踏襲しようとします。
周りから嫌われたくない・好かれたい
周りと同じようにするべき
この思いが強すぎると思います。このような思いが強い場合、最悪のケースとしては学校や先生という仕事が嫌いになってしまう可能性があります。
- 定時になれば帰ればいいと思います。私は帰っていました。
- 同僚教員からの圧力は、そもそも仲良くなっておけば結構助けてくれます。
- 保護者からの圧力は、事前に保護者と仲良くなっておけばとくに何もありません。
- 余計な業務は右から左へ流していればよいです。
- 休みは私は取りたくなかったので取っていませんでしたが、年休という有休があるため堂々と取ればよいと思います。権利ですし、通常代わりの先生は職員室に控えているものです。
いえることは、「全員に好かれようとする必要はない」ということです。
常識の範囲内で好きなように仕事をすればよい
先生という仕事は、常識の範囲内で好きなように仕事をすればよいと思います。
周りがどうこうとか気にしすぎる必要はありません。ただこれは基本的な教員としての能力を身につけてからの話です。
あと極論を言いますが、まずクビになることはありません。
一般的な会社であればクビになるようなことをしてしまったとしても、学校の先生の場合はかなり守られます。
よって自分の特徴を活かして好きに仕事をしたらよいと思います。変にまじめになりすぎると精神的に病んでしまいます。
良い意味でいい加減なくらいが、子どもからも好かれる先生になります。常に追い込まれているような人は顔や態度に出てしまい、それは子どもたちにも伝わってしまうものです。
このような学校の実情を、文部科学省の人たちも知ってもらいたいと思います。
お断り
お断りとしてですが、この方針はニュースで知りました。ニュースで得た情報から私個人が持った感想をここまでお話ししてきました。
もしかしたら、細かい部分は異なっていたり誤った解釈がある可能性があることをご了承ください。
ただこのように考えている人もいるということです。
教員になったら奨学金を免除するというなら、それはそれでよいと思います。
ただし採用試験をまともな内容にしてほしいと思います。採用基準が学力に偏りすぎています。だから勉強しかしてこなかったような人が先生になったりし、コミュニケーションで問題を起こしたりします。
また学校のトップには、民間の会社の経営者などを採用してもらいたいと思います。
このようにすることで、少しは学校がよくなり、結果として教員希望者が増えてくると思うのです。