学級運営は、多くの子ども達と連携を取りながら行っていきます。教師が一人で引っ張っていくことも可能ですが、限界があります。やはり、子ども達を活かすことが、円滑な学級運営をするためには必要な事となります。
では、具体的に「子ども達を活かす」とはどういったことなのでしょうか。
中心的な存在を見つける
クラスは小さな社会です。子ども達の中でも影響力のある子ども、リーダー的な子どもが必ず存在します。そういった子どもを見つけ、お手本的な存在にしていくのです。
子どもを良い意味で捜査していく
ただし、ここで気を付けなければいけないのは、お手本となる子どもを、目立って甘やかしてはならないということです。さりげなくが大事です。
甘やかし過ぎれば、その子自体が図に乗ることもありますし、周りの子どもから不満が生まれます。
これには経験が必要になってくると思います。さりげなく、目立たせず、リーダーにしていくわけですからね。その子どもの資質も必要になってきます。
もう1つの方法としては、既にリーダー的な存在となっている子どもを上手く「取り込む」事です。
「取り込む」というのはちょっと変な表現かもしれませんが、結果としてそういうことです。実はこういった子どもを取り込めないと、学級運営がかなり苦しくなります。
子ども達にもクラスという「小さな社会」があります。その小さな社会のリーダーはやはり影響力が強いのです。そのリーダーに教師が嫌われると、他の子どもにも嫌われる要因となったり、保護者にも嫌われる要因となるのです。
例えばAさんがリーダーだとしましょう。教師がAさんに嫌われると、「なんかあの先生ってやだよね。」というのがその周りの子どもに広まります。周りの子どももリーダー的存在の発言に大きく左右されます。すると、その周りの子どももさらに周りの子どもに同じような発言をし始めます。
このように広まり、子ども達からしてみると「マイナスなイメージを前提で教師を見る」ようになるのです。つまり「否定」から入るのです。このマイナスをプラスにしていくのは、かなり大変な作業となります。
といったこともあり、中心的の存在はしっかりと取り込み(それとなく)、仲間のような感じになることをおススメします。すると学級運営がかなり楽になってくれます。
怒るのは難しい
「怒る」というのは非常に子どもにとって影響力のあることです。(怒られてもあまり響かない子どももいますが・・・)なので、怒り方には非常に気を使う必要があります。
みんなの前で怒るのは追い詰めてしまう可能性がある
よく失敗しがちなのは、子どもが何か悪いことをしてしまいみんなの前で怒る教師がいます。これはよほどのことがない限りは止めたほうが良いです。
みんなの前で怒られている子どもは、「教師に怒られているということよりも、みんなの前で怒られている」ということの方が心に響くのです。
大人の社会でも同じですが、同僚の前で怒られるより、1対1で怒られた方が精神的に和らぎますし、そこまで辱めを受けなくて済みます。
怒るというのは辱めを与える行為ではありません。次はやらないようにね!という注意です。なので、わざわざ多くの人の前で怒る必要はありません。
- 1対1で怒る
- 匿名で怒る(クラスに)
- みんなの前で怒る(小さな声)
- みんなの前で怒る(大きな声)
基本は①②です。
②は「今日はこんなことがあった。先生はそういったことは絶対にやっちゃだめだと思う」といった感じです。クラスの子どもは誰がやったのかは分かりません。それに誰がやったとも言いません。でも、本人は分かっています。
わざわざクラスで言うことではないかもしれませんが、こうすることで、そういった悪いことをしてはいけないんだということがクラス中に伝わります。
しかし、できる限り②③④は止めておいた方が良いです。再三の注意にもかかわらず子どもが悪さをしてしまったら、致し方ないとは思います。
ただし、この方法はもろ刃の剣です。非常に効果的ではあります。周りの子どもも、「こういったことをしたら先生に怒られるんだ」と理解してくれます。これは良い面なのですが、保護者に話が行く可能性があります。
もし保護者に言われるのが嫌だというのならば①で留めておけば良いと思います。ちなみに私は④までよくやっていましたが(子どもによって、怒り方も変えて)、保護者から一切言われたことはありませんでした。
特に気を付けたい女生徒
クラス運営の中で特に気を付けてもらいたいのは「女子」です。
男子は何をするにも分かりやすく、怒られてもケロッとしていることが多いのですが、女子の場合はそうではないことが多いのです。
表に出さないようにする
まず、悪いことを表面に出すことが少ないのです。実は知らないところで誰かに悪口を言っていたとかイジメていたというのがあったりします。それなのに教師の前では良い顔をしているのです。
なので、これを見過ごしてしまうと、大きな問題に一気に発展することがあります。なので、この辺りの注意が必要です。
関係性を築いておくことが大事
では具体的にどうすれば良いのかというと、女子と仲良くしておくということです。
仲良くしておき、「悪いこと、気になることがあったら先生にどんどん言ってきて」という状態にしておくと次々に情報が入ってきます。
それらの情報をつなぎ合わせていくと、誰がどんな悪さをしているのかというのが分かってきます。
例えばBさんが悪いことをしているという情報を手に入れたとしましょう。それが1件だけではなく複数、もしくは1件入ってきた段階で教師側からしてみても違和感を覚えたら、その子どもと1対1で話をします。
他愛もない会話で良いのです。そして、核心に少し触れたり離れたりしながら会話をしていくと、どこかで雰囲気が変わったり、辻褄が合わないことを言ったりすることがあります。これが1回の会話で終わることもありますし、数回になる可能性もあります。
これは子どもによって異なります。ただ、子どもに「もしかして先生知っているんじゃ・・・」と匂わせる程度で良いのです。それだけでも今後の抑止力になります。
子どもの扱いは、子どもの数だけあります。どれが正解ということは実はありません。そして、表情や雰囲気から読み取らなければいけないことも多いのです。それは非常に微妙で曖昧なものですが、重要なものなのです。
効果的な道徳の授業
子どもに何か注意をしたいときに「道徳」は非常に良い教科だと思います。
道徳の教科書を使用しての授業も有効的ではあると思うのですが、そのほかに学校生活で起こった問題をそのまま題材にして、道徳の授業として扱うとよいでしょう。
その方が、子どもたちの理解度が全然違います。
また、何か問題が起きた際には、その次の時間にすぐに道徳の授業を開始します。もしその時間が道徳でなかったとしても、授業内容を変更します。
その方が、子どもたちの記憶に鮮明な状態で問題解決についての議論ができるため、非常に効果的だと思うためです。
結果として、なかなか強烈なクラスをまとめることができました。
学校の本来の目的は人間を育てると思う
私は学校、とくに小学校の大きな役割として学力を身に付けさせるよりも「人間とはなんぞや」つまり「道徳力」を身に付けさせることだと思います。
そのためには絶対に外せない教科が道徳です。ところが道徳の授業時数は他の科目に比べ圧倒的に少ないのが現状です。しかし非常に大切な教科です。
ではどうするべきか。
それは教師が意図的に時間を確保する必要があると思うのです。
「道徳ばかりやっていては他の教科の学力がおろそかになってしまう」
そう考える先生がいるとすれば、それは厳しい言い方をしますが、授業力、教える力が足りない可能性があります。
現に、私が担任したクラスの学力は、学年の中でもトップクラスでした。これは道徳の授業を行い、人間として「人の話を聞く」ということを子どもたちが身に付けてくれたことも大きな要因と思えます。
「人の話を聞く」、つまり「授業をしっかり聞く」、結果、成績が上がる。
といった仕組みです。
少し話はそれてしまいましたが、もし気を付けたい子どもがいる場合、闇雲に怒るのではなく、クラス全体に向けた道徳の授業を取り入れたりすると、子どもに変化が現れるかもしれません。
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