教員の不祥事が続くことから、「資質向上」を謳った会議や研修が行われています。
しかしこれらの会議や研修がどの程度役に立っているのかというと、いささか疑問なのです。
学校の現状 会議や研修が多い
朝から夕方の14時、もしくは15時まで授業に追われます。
授業が終わったところで、会議や研修が始まります。毎日、会議や研修があるかというとそんなこともありませんが、一昔前に比べて多くなったとのことです。
それは時代の流れとともに課題が年々増えてきているからとのこと。今まであった会議や研修はそのままに、さらに新しいものを入れていくため、年々増えてきてしまっているのです。
それらの会議が終わるのが、終業時刻寸前。
つまり会議や研修が終わってからやっと時間を取れるようになるのです。そこから自分の仕事が始められるようになります。
これについては後述するとして、今回は多くなっている会議や研修について話したいと思います。
会議や研修が多くなり過ぎて全てに集中できない
前述したように会議や研修は多くなっています。
通常の授業で疲れた後の研修は流石に集中力が持たないことも多々あります。また研修が多いため、研修自体がマンネリ化してしまうこともあります。そのため、せっかく「教員の資質向上」を謳った研修を行ったとしても、マンネリしているため教師の心の奥まで届きにくいと思えます。
正直、授業が終わり疲れている後に研修をやっても、まったく集中できません。それも毎回同じような感じの研修では、どうしてもマンネリ化してしまいます。研修をする教師も「慣れ」が発生してしまい、「研修内容を身に付ける」というよりも「研修を滞りなく終わらせる」ことを考えるようになってしまうと思います。
なぜ研修をしているのか その意味を理解していない
ここからは推論です。
会議や研修をしているのは、「言い訳づくり」をするためだからだと思います。少し研修をした程度で教師のレベルがアップするわけではありません。問題に対処することができるようになるわけではありません。
たとえば不祥事を起こす教師。よくニュースで聞かれることですが、なかなかなくなりません。
ニュースで不祥事が報道されると、それに関して、もしくは類似した問題に対しての研修が行われることがあります。
しかしそれでも不祥事はなくなりません。
研修の意味をなしていないのです。
事件が起こっているのは採用段階でしっかりとふるいをかけていないためだと思います。また、そのあとの初任者研修なども、もっと資質を見極めなければいけないと思います。
話を戻しますが、研修は「言い訳づくり」のためだと思います。つまり、何か教員が不祥事を起こしたときに、「学校側では研修をしていました。」と言うためなのです。
「こちらとしてはしっかりと対策をしていましたよ」という言い訳をするためなのです。
教師に向いた資質を持っている人材を採用する
良い先生とは正直センスのある人間だと思います。ある意味天性のものです。
現在の教員採用試験では、試験の点数さえ取れれば合格してしまいます。面接も一応ありますが、短い時間で判断できるわけありません。
結局のところ、教師に適したセンスのある人間をはじめから採用すればよいと思います。そのためには採用側にセンスが必要ではありますが・・・なかなか・・・。
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