イジメは誰のせい?教育現場でのイジメへの対応

イジメは誰のせい?教育現場でのイジメへの対応 教育問題について

イジメ問題がメディアで取り上げられていますが、現場で働いていた人間としてお話をさせてもらいます。

イジメの原因は何なのか?

イジメの原因は様々です。どんな些細なことからも始まります。原因が当事者以外の所が原因になったりもします。

イジメの責任は誰にあるのか?

あくまでもこれは私見です。多くの賛否両論があるかと思いますし、イジメの種類にもよるかと思うというのを前提とさせていただき、話を進めます。

イジメの原因はさまざまなところに問題(責任)があることで発生すると思っています。

まずイジメた方。つまり加害者です。完全に悪いです。言い訳できません。

次にイジメられた方。つまり被害者です。抵抗したりSOSを発さなければなりません。よく抵抗ができなかった、SOSを発することができなかったという意見も聞かれますが、それは周りの協力が必要となってきます。

つまり周りの保護者や教師、つまり大人です。

もしイジメられている人間が抵抗し、SOSも発しているのに親や教師が救えなかったら、親や教師の責任は相当重大なものになります。

よく日本人は「どこに責任の所在がある?」と言いますが、私は嫌いです。責任逃れをしたいという考えが嫌いです。ただ、公務員である学校の先生にとって責任問題というのは結構シビアなものです。なるべく逃れたいと考えている先生は多いのです。

学校のイジメの多くは教師が発見することが可能

私は学校で発生するイジメに関しては、教師が見つけ出すことがほとんどの場合可能だと思っています。そして抑制することもできると思っています。

これを読み「それは難しい」と思っている教職員の方は、申し訳ありませんが力がないとしか言わざるを得ません。

教室の空気の変化をしっかりと捉える力が必要

教室にいると、上手く説明できませんが、空気として感じ取れることがあるのです。些細な言動に違和感を感じるようになるのです。

その空気を感じ取れるようになるためにまず必要なことは、子ども一人ひとりのキャラを適切に判断することです。繰り返しますが「適切に」です。

簡単な例では、良く話をするような子の会話の回数が微妙に減ったとか、視線がいつもと違うとか、口調が違うとかそういったものです。

ですので、教師は敏感でなくてはいけません。

イジメに対しての考え方を徹底的に伝える

また、イジメとはどういうものかをきっちり説明しておく必要があります。それも、強烈に。

良いことかどうかは分かりませんが、私が担任を持つとき、必ず初めの自己紹介の後に子供たち全員に向かって言うことがありました。

「イジメだけは絶対に許さない。イジメをするんだったら先生にやられる覚悟でイジメをしなさい。」

脅しと取られるかもしれませんが、子どもと接する一番初めにこういった発言をすることで、強烈なインパクトになります。

人間は強烈なインパクトは忘れません。

また、「万が一、イジメられたと思った人は、必ず先生やお家の人に言いなさい。決して格好の悪いものではない。言わないでイジメられている方がよっぽど格好悪い。」

道徳の授業はあらゆる授業の中で一番重要な科目

常日頃から道徳の授業を入れていきます。

何かクラスで問題があれば、それを取り上げていきます。道徳の授業時数を無視して授業を行います。

その他の授業が遅れてしまうかもしれません。でも小中学校レベルの授業であれば、教師の腕次第でいくらでも学習内容は取り戻すことができます。

ほぼ毎日道徳の授業を行っていた

私は、ほぼ毎日、臨時で道徳の授業をしていました。

正直、1週間に1回道徳をした程度では子どもの心に響きません。また、教科書に載っているものを題材にしても響きません。実際にクラスで起こった問題を話題にした方が響きます。

教室でも問題をテーマとするわけですが実名は出しません。こういった問題に君たちはどうするのか?と説いていきます。子ども達に話し合わせます。

最後にその考えは良いのか悪いのかを教師が指摘し、道筋を示します。

子どもは未熟!正しい道を教えるのが教師

「子どもの出した答えが正しい!」

とか言っていた変な教師もいますが、道徳に関して、子どもの出した答えが正しいと言うのはおかしいです。まだ、人生が未熟な人間が出す答えなのですから。

駄目なものは駄目。良いものは良い。

人生の先輩である先生が道筋を示すことが道徳です。

学校では日々、何かしらも問題が発生します。しかし問題が起こる前に違和感を感じ取る力が教師には必要だと思います。また問題が起こってしまった場合、子どもの考えを軌道修正するのも教師の役目です。

そのようなことができる人でなければ、教師になる資格はないと思います。

とどのつまり、現在の教員採用試験は根本的に考え直さなければいけないと思います。

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