学校での成績の付け方 どのように先生は成績を付けているのか

成績の付け方 学校の実情 意外と知られていない学校の裏側

成績の付け方

学校での成績の付け方として、現在では「絶対評価」が採用されています。ちなみに一昔前までは、「相対評価」が採用されていました。

絶対評価と相対評価の違い

「絶対評価」とは、各生徒の学習の到達度で評価する方法です。「相対評価」とは、クラス内や学年内での生徒の位置から評価する方法です。

もう少しわかりやすくいうと、絶対評価の場合、クラスの生徒が全員100点満点を取り、宿題も忘れずにやってきて、発表もしっかり行っていれば、クラスの生徒全員が5段階評定で5を取れるということです。

しかし、相対評価においては、同じようにクラスの生徒が全員100点満点を取り、宿題も忘れずにやってきて、発表もしっかりしたとしても、なんとかして順位付けをしなければいけなくなります。

つまり、「5」が全体の20%前後、「4」「3」がというように、割合で分けられます。

現在の学校の成績の付け方は絶対評価のはずだが・・・

現在の学校の成績の付け方は「絶対評価」ということになっています。つまり場合によっては、クラスの生徒全員が「5」を取れる可能性があるというわけです。

しかし、現実問題としてはそれはできません。大抵の場合「5」「クラスの人数×20%」程度に抑えられます。

ですから、絶対評価と謳っていながら、実は相対評価なのです。

これは、学年主任や学校長から指示が出されます。なんか変ですよね。だったら初めから「相対評価」にすれば良いのです。

どうすれば成績で「1」が付けられるのか?

成績表で「1」をつけることは滅多にあるものではありません。100点満点のテストで毎回赤点レベルで、全く発表もせず、宿題も全くやってこないという状態でない限り、「1」は付かないのです。

つまり、「1」を付けた時、保護者から何か言われても反論できる材料を完璧に持ち合わせていない限り付けられないし付けないのです。

先生によって成績の付け方は異なる

成績は付ける人間によって異なります。成績の付け方は先生によって全然違います。

成績の判断材料となるものとして、「テスト」「発表」「提出物」「授業態度」などがありますが、そのどこを重視するのかが異なるのです。

私の成績の付け方 絶対評価と相対評価を織り交ぜる

私の成績の付け方は簡単です。

まず、テストの成績を自作のエクセルの表に打ち込みます。テストは観点別となっています。全てのテストの成績を観点別ごとに合計し、並び替えます。

すると、そこで基本となる成績が順番通りに並びます。

そこから発表や提出物、授業態度など、日頃から付けていた別の成績メモの評価を加えていきます。

つまり絶対評価と相対評価を混ぜている感じでしょうか。

まず客観的に成績順に並べ、そこから普段の行動を見ながら調整していくのです。

そのため、テストの成績は必ず管理しておく必要がありますし、日頃の子どもたちの行動もしっかりとメモをしておく必要があります。

大変そうに思うかもしれませんが、習慣になってしまえばそれほどでもありません。

成績表に書く先生からの言葉が一番大変

成績表には「先生からの言葉」なるものがあります。つまり5段階評価以外に、「子どもがこんな感じで学校生活を送っていましたという内容の文章を書くわけです。

これ実はとても大変な作業なのです。学校によって書き方のルールは異なるかもしれませんが、私の知る限り「学校生活の様子、授業の様子」等を織り交ぜながら、「。」3つ程度の文章で構成します。

そしてマイナスの内容を書いてはいけないのです。なんか変だとは思うのですが・・・。

何を書いてよいのか分からなくなることがある

生活においてや授業において、目立っている子どものことを書くのはそれほど大変ではありません。

しかしそうではない子どもについては、何を書いてよいのか分からなくなることがあるのです。また同じようなタイプの子どもが複数いたりすると、書く内容が似通ってしまうことがあるのです。

さらに、マイナスなことを書いてはいけないというのが大きなネックとなります。イタズラばかりしている子ども、授業に集中しない子ども、忘れものばかりする子どもに対しても、良いところを見つけて言葉を考えるわけです。

そのため、「独特な感性を持ち」「ユーモアにあふれ」などといった言葉を使用し、ある意味言葉を濁したりします。

これをクラスの子どもの数だけ作成します。そしてチェックしてもらいます。これも学校によって異なるかもしれませんが、私の経験した中では3重のチェックがありました。

まず学年主任。次に級外の教師。最後に校長、または教頭。

この3重のチェックを一発でかいくぐるのは、かなり力のある先生でなければ難しいでしょう。このようなこともあるため、学期末の先生は「成績を付ける」ことと「言葉を考える」ことを行なっているため疲れ切っているのです。

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