学校の実情 意外と知られていない学校の裏側

子どもの心、担任知らず 小学校2年生に感動をもらった最後の1日

子どもの心 担任知らず

先生をしていて本当に良かった この1日だけでも先生になった価値がある

これは、私が担任をしていて、とても感動し教師という仕事をしていて良かったなぁと思った瞬間のお話です。

これがこのクラスで集まる最後となる日。

私は子ども達に向かい話しをしていました。私のクラスでは、よく色々な話を子ども達に聞かせるようにしていました。一部の先生は教育カリキュラムをしっかりと守り、時数通りに授業を進めるべきだと言っていましたが、私はあまり守っていませんでした。

理由は簡単。子ども達が知らない話を沢山してあげたかったからです。

いいじゃないですか。多少事業時数を守らなくたって。(多少じゃないかも・・・)

子どもが「先生がしてくれる話しが面白いから学校に行きたい」と思ってくれれば。勉強が全てではないと思います。たとえ授業時数を守らなくても、必要な知識を習得させておけば問題ないのではないでしょうか。

必要な学力だけは身に付けさせる指導をしていた

ちなみに、学年間のテストの結果は常に上位1位、もしくは2位でした。

クラスの子どもの能力が他のクラスよりも高いとかそういったことではありません。勉強というものは興味を持って行えば、ある程度誰でも覚えるのです。興味を持つ状態に持っていくのが本来教師の役目だと私は思います。

そんなわけで、私は興味を持たせるためにも、様々な話しを子ども達の前でしていました。そして迎えたクラス最後の日。

「こんなことを勉強した、あんなことをみんなでした、今度はこんな学年になるといいな」

そんな話した後のことです。

恐らく一生涯忘れられないことが起こったのは。

再現してみたいと思います。

最後に信じられないくらい大きなプレゼントをもらった

私:「みんな、なんか最後に言っておきたいことがあるか?」

※断っておきますが、私は教室では特別丁寧な口調では話しませんでした。作られた言葉は人の心に響きませんし、何より自分が教師だということで言葉遣いを変えるのがいやだったからです。ほとんどの先生は言葉遣いが丁寧です。

男の子:「はい!先生」

一人の男の子が手を挙げました。この子は比較的おとなしいが頑張り屋の子でした。発表もあまりしない少し恥ずかしがりやな子です。

私:「なんだ?K」

すっと立ち上がり、

K:「先生サイコー!」

その瞬間、それに続くように他の子どもも手を挙げて、

私:「意見のある子は立ってみろ」

というと、クラスの半数以上が立ち、順々に

「先生サイコー」「先生サイコー」「先生サイコー」「先生サイコー」「先生サイコー」「先生サイコー」「先生サイコー」「先生サイコー」「先生サイコー」「先生サイコー」「先生サイコー」「先生サイコー」

と言ってくれました。

嬉し過ぎて、そして恥ずかしすぎて涙が出そうでした。

小学生が、それも低学年がそんなことを言うなんて・・・。

一番初めに言ってくれた子どもは、発表をほとんどしないような子です。その子がみんなの前で、それも最後の日に一番初めに手を挙げ、なかなか言えないような言葉を言ったかと思うだけで、こみ上げてくるものがありました。

褒めるときには本気で褒め、怒るときには本気で怒り、言葉を作らず、常に本音でぶつかった1年間でした。

その結果が、こんなにも最高なプレゼントをもらうことになるとは。

私の気持ちを少しは理解していてくれたのかな思うと、とても嬉しかったです。なかなか味わえる体験ではありません。

その後、子どもの保護者にも数人に会い、話しをしました。

保護者:「先生はとっても子どもに人気があったんですよ。他のお母さんたちも先生のクラスで良かったといつも言っていましたよ。」

これが本音か建前か私には判断のしようがありませんが、たとえどうであろうと、このような言葉を貰えるだけで1年の最高の締めくくりになりましたし、先生になって本当に良かったと思える最高の日でした。

恐らく一生忘れることはないでしょう。

子どもが担任のことをどう思っているのか正直分かりません。推測はできますが確信はできないものです。

自分の指導方法がこれで正しいのか、自問自答しながらの毎日です。

その答えが学級最後の日に出てくれました。

この年だけではありません。

私は毎年、学級最後の日に「うれし涙」が出そうになります。

つまり自分が行っていた学級運営が、少なからず自分にとっては失敗ではなかった証拠なのかなと思います。

ぜひ多くの先生に、私のような体験を毎年してもらいたいと思います。そのためには、「常に全力で子どもたちのためとなることをすること」が大事だと思います。

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