初めてのクラス・・・。非常に激しいクラスでした。
クラスもまとまり、もう少しで新学年と言う時に、保護者から言われた言葉を今でも覚えています。
保護者は知っている。そして伝えてくれる。
「先生。早く正規教諭になってくださいね。じゃないと異動の時に新聞に載らないからどこに行くのか分かりません。」
講師としてクラスを担任していた私ですが、実は若干の引け目を感じていました。講師と教諭の違いは、「採用試験に合格しているのかどうか」と言うことです。子ども達から、そして保護者からしてみれば、講師も教諭も先生には変わりはないかもしれませんが、自分自身どこか引け目を感じてしまっていたのです。
そんな中でも精一杯、壊れかけたクラスに接していきました。ある意味、講師だからこそ名一杯できたという面もあります。「別に首になったってかまわないや。」という意気込みで。正直、そのくらいの勢いで子ども達にぶつかっていかないと、なかなか良いクラスは出来ないと思います。
話は戻りますが、「早く正規教諭になってくださいね」と言われたときに「何故知っているの?」という驚きと、「俺は正規の先生になっても大丈夫なの?受け入れてくれるの?」という喜びがありました。子どもや保護者から評価してもらえるのは良いことですから。
授業参観や懇談会で自分が講師だということは言ったことがありませんし、聞かれたらどうしようとちょっとビクビクしていたのを覚えています。それなのに、講師と言うことを知っている人がいるというのは驚きでした。
一生残る言葉
次におそらく一生残る言葉であろう言葉を保護者の方から頂きました。
「先生。先生にとって先生の仕事はまさに天職ですね。私の子どもも先生のような先生になりたいと言っています。」
めちゃくちゃ嬉しくて、涙が出そうになりました。今思い出しても涙が出そうです。自分が精いっぱいやってきた結果、こういった言葉をもらえたのですから。
と2人の保護者の方から、とても貴重な言葉をもらった私ですが、私が何をしたのかと言うとただ「崩壊しかけたクラスを仲の良いまとまりのあるクラスにした」と言うことです。そして学力も運動も向上させたのです。このように書くと自分でも「凄いなぁ」と思うのですが、別にこうしようとしてなったわけではなく、結果としてなっていたという感覚です。
まとまりがあり、仲が良く成績も良く、運動もできるクラスはどうやって作る?
今考えると、凄いクラスですよね。そんなクラス出来るの?って感じですが、できちゃったんです。ではどうやったかと言うと、「当たり前のことを当たり前にしただけ」です。
まず、「他人の痛みを知る」事を伝えました。「自分が言われて、そしてやられて嫌なことはやらない」。基本ですね。それに反することが行われたら、すぐに対象者と話をします。怒るというよりも「なぜそんなことをしたのか?どう思ったのか?相手はどう思っているのだろうか?自分がされたらどう思うのだろうか?これからどうしたらよいと思うのか?」といった感じの内容の話をします。自分のしたことを自分の口で話をしてもらい、自分が行ったことを自分で再認識させるのです。
また、場合によっては道徳の開始です。誰がやったとは言いません。こんな感じのことがあった。みんなならどう思うのか?といった感じです。道徳の授業はおそらく通常決められた時数の5倍はあったのではないでしょうか?道徳は非常に大切な授業です。特に小学生の内は正しいこと、悪いことをきっちりと教える必要があります。
そこから今度は「仲間意識」を高めていきます。これはチームで行う運動が役に立ちます。丁度、運動会があり、その練習を行っていたこともあり、「クラスはチームだ!みんなで協力しよう。出来る人は出来ない人のカバーをする。」など、「全員が重要だ。」といった意味を込めた発言を繰り返しました。また、授業を潰してまで運動会の練習をしたため、当然、練習量の多い私のクラスが1位になりました。同じく授業を潰して練習した長縄飛びでも、驚異的な数字を叩きだしました。
実はこの「授業を潰して」と言うのが味噌です。ベテランの先生には「授業を潰して何やっているんだ!」と言われてしまうかもしれませんが、「他のクラスが授業をしているときに、特別の秘密特訓」と言うのが子どもには効きます。「行けぇー!忍者のようにバレずに運動場に集合だぁ~!」なんて言っていました。
「授業を潰していたら勉強が身に付かない」と懸念されそうですが、1時間の授業で教えることは1つか2つです。そこをビシッと抑えていれば、時間をかけずとも修得させることができます。これは塾の講師時代のスキルが役に立ちました。「効率良く重要なことを伝える」と言うことです。
そしてこの効率を上げるためには「授業の姿勢」を作る必要があります。「人の話を聞く姿勢作り」です。なので、私のクラスにはほとんど私語はありませんでした。私語をすると起こるのではなく、上手く注意するのです。例えば次のような感じになります。
例えばA君が私が話をしている間に後ろの席の子どもに話をしていたとしましょう。それに対して「A君、前を向きなさい」では普通ですよね。私の場合「お!楽しそうな話をしているからみんなにも教えてあげてよ。」とか「であるからして・・・・A君は後ろを見ているようだけど、先生には全然見えない。全然見えてない。全然気にしていない。」なんて感じで回りくどい注意をしたりもしました。ただ、子どもによって注意の仕方は変わり、それを他の子に悟られないようにしなければいけません。不平等と思われてしまいますからね。
といった感じで、「話を聞けるクラス作り」さえできてしまえば、授業をガンガン進め、それなのに習熟度が高いクラスが出来上がります。授業をガンガン進めたおかげで、運動会の練習も大量に出来ますし、道徳の時間もタップリと取れるようになるのです。
なので、私のしたことは「話を聞けるクラス作り」が結局、色々なところに繋がっていっただけなのです。なので、これを出来る教師が「理想の教師像」なのでは?と私は思います。
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